もうひとつの厄神~三木 [街歩き]
前回ご紹介した「厄神~三木」の街歩きですが、
スタート地点の厄神駅から途中の三木市街までは、
かつて三木鉄道という路線が結んでいたのでした(2008年廃止)。
ある日、つぼっちが愛用する道路地図、「スーパーマップル関西道路地図」をパラパラめくっていると、
とあるページで、地図上に黒い点線が描かれているのに気が付きました。
そこで初めて三木鉄道跡が地図上に残されていることを知り、実際に歩いてみた次第です。
ということで、今回は三木鉄道跡に絞った街歩きレポートになります。
厄神駅から、JR加古川線沿いに線路跡が伸びています。
加古川線の方は電化されていて、加古川~厄神間はそこそこの本数があります。
農地の中に住宅地が形成されており、その間を通っていたのが分かります。
廃線跡を歩くことはできないので、遠回りしなければなりません。
前回のレポート、2枚目の写真の集落の近くです。
線路は県道20号線を越え、盛土部を走っていきます。
鉄橋は撤去されてしまっています。
廃線跡だと知らなかったら、要塞のようにも感じられます。
丘を上っていくと、「宗佐」地区に入っていきます。
踏切跡があり、近くの案内板から、かつて宗佐駅があったことが分かります。
線路跡は県道84号線をくぐり、加古川市から三木市へと入っていきます。
丘を越えると、広い農地の中を走っていきます。
線路跡沿いに遊歩道が続いているので、この区間はたどり易いです。
踏切跡の部分にはレールが残っていました。
もう二度と列車が走ることはありませんが。。。
石野駅跡。
意外と立派な駅舎だったのが分かります。
駅の部分だけレールが残っていました。
鉄橋も残っていました。
三木鉄道は基本的に県道20号線沿いに走っています。
県道の南側は住宅地も多少はありますが、北側は農地が広がっているだけで、
十分な利用客数が確保できていなかったであろうことが推測されます。
西這田(にしほうだ)駅跡。
質素な造りの駅です。
ホームの短さがローカル線っぽさを良く醸し出しています。
線路は徐々に市街地に近付いていきます。
沿線の住宅の数が増えてきました。
やがて、別所駅跡にたどり着きました。
「東這田」の交差点の近くです。
線路は国道175号線をくぐり、いよいよ市街地に入ります。
高木駅跡。
住宅街の中にあり、今までの沿線の風景とはちょっと異なっています。
そして、ようやく終点の三木駅跡に到着。
三木鉄道記念公園となっていて、構内には鉄道の施設が残されています。
今では市民の憩いの場となっています。
大きな駅舎を持つ駅だったようです。
しかし、神戸電鉄の三木駅とは美嚢川を挟んだ位置関係にあり、
乗換えが不便であったことも廃線に繋がる要因であったように思います。
また、両端の厄神・三木とも神戸市街に出るのには不便であるため、
この地域ではバスが便利ということなのでしょう。
路線跡がけっこう残っており、また距離も手ごろなことから、
三木鉄道跡を歩き通すのは、さほど難しくありません。
できれば、廃止前に一度歩き通してみたかったです。
スタート地点の厄神駅から途中の三木市街までは、
かつて三木鉄道という路線が結んでいたのでした(2008年廃止)。
ある日、つぼっちが愛用する道路地図、「スーパーマップル関西道路地図」をパラパラめくっていると、
とあるページで、地図上に黒い点線が描かれているのに気が付きました。
そこで初めて三木鉄道跡が地図上に残されていることを知り、実際に歩いてみた次第です。
ということで、今回は三木鉄道跡に絞った街歩きレポートになります。
厄神駅から、JR加古川線沿いに線路跡が伸びています。
加古川線の方は電化されていて、加古川~厄神間はそこそこの本数があります。
農地の中に住宅地が形成されており、その間を通っていたのが分かります。
廃線跡を歩くことはできないので、遠回りしなければなりません。
前回のレポート、2枚目の写真の集落の近くです。
線路は県道20号線を越え、盛土部を走っていきます。
鉄橋は撤去されてしまっています。
廃線跡だと知らなかったら、要塞のようにも感じられます。
丘を上っていくと、「宗佐」地区に入っていきます。
踏切跡があり、近くの案内板から、かつて宗佐駅があったことが分かります。
線路跡は県道84号線をくぐり、加古川市から三木市へと入っていきます。
丘を越えると、広い農地の中を走っていきます。
線路跡沿いに遊歩道が続いているので、この区間はたどり易いです。
踏切跡の部分にはレールが残っていました。
もう二度と列車が走ることはありませんが。。。
石野駅跡。
意外と立派な駅舎だったのが分かります。
駅の部分だけレールが残っていました。
鉄橋も残っていました。
三木鉄道は基本的に県道20号線沿いに走っています。
県道の南側は住宅地も多少はありますが、北側は農地が広がっているだけで、
十分な利用客数が確保できていなかったであろうことが推測されます。
西這田(にしほうだ)駅跡。
質素な造りの駅です。
ホームの短さがローカル線っぽさを良く醸し出しています。
線路は徐々に市街地に近付いていきます。
沿線の住宅の数が増えてきました。
やがて、別所駅跡にたどり着きました。
「東這田」の交差点の近くです。
線路は国道175号線をくぐり、いよいよ市街地に入ります。
高木駅跡。
住宅街の中にあり、今までの沿線の風景とはちょっと異なっています。
そして、ようやく終点の三木駅跡に到着。
三木鉄道記念公園となっていて、構内には鉄道の施設が残されています。
今では市民の憩いの場となっています。
大きな駅舎を持つ駅だったようです。
しかし、神戸電鉄の三木駅とは美嚢川を挟んだ位置関係にあり、
乗換えが不便であったことも廃線に繋がる要因であったように思います。
また、両端の厄神・三木とも神戸市街に出るのには不便であるため、
この地域ではバスが便利ということなのでしょう。
路線跡がけっこう残っており、また距離も手ごろなことから、
三木鉄道跡を歩き通すのは、さほど難しくありません。
できれば、廃止前に一度歩き通してみたかったです。
この地域は、国鉄時代に短い路線が多く作られて、それが魅力でした。
でも、これだけ道路が整備されてしまうと、鉄道はもう生き延びることは
出来ないのですね。
鉄道好きにとっては哀しいことですが、仕方ない事なのかなあ、と思います。
by ナツパパ (2013-03-01 08:45)
廃線跡は私も興味があり、実際に歩いたこともあります。
なので、とても興味深く読ませてもらいました。
石野駅跡、ちょっと寂しく感じますが素敵な駅舎ですね。
by masa (2013-03-02 07:49)
>ナツパパさん
神戸鉄道粟生線も、かなり厳しい状況のようです。
大都市周辺でもこのような状況ですから、地方はもっと厳しいのでしょうね。
by つぼっち (2013-03-07 23:20)
>masaさん
山奥を走っているわけではないので、廃線跡をたどるのは簡単でした。
意外と立派な駅舎が残っている駅もありましたが、
国鉄時代からあった駅のようでした。
他の簡単な駅は、三木鉄道に転換されてからできたもののようです。
by つぼっち (2013-03-07 23:23)